思春期のころは、ずっと死にたかった。
最初は、その年ごろにありがちな、厭世的な思考だった。
「町で一番高いマンションから、飛び降りちゃおうかな」。
あくまで自分の意思で。選ぶのは、私。
それが当初考えていた、「自殺」だった。
しかし、精神の調子を崩すにつれて、
それは自らの意思とは切り離されたものになっていく。
死にたいとか飛び降りるとか、どうでもよい。
とにかく苦しい、未来が見えない。
これ以上苦しくなる前に、この状態を終わらせたい。
今の状態でなければ、なんでもいい。
頭の中には、悲観的な未来像や、否定的な言葉が絶え間なく駆け巡る。
私であって、私ではない何者かにせかされるように、高いところへ行く。
ロープを手に取る。
早く、早く楽になりたい。
今にして思えば、鬱病の希死願望だったのだろう。
当時はそんなことはわからず、ただただ怖かった。
私であって、私でない者が、私を殺そうとする。
限界を迎えた精神が、ブレーカーを落とそうとしている。
未来が怖い、今が怖い、生きるのが怖い、私ではない何者かが怖い。
何者かに殺されるのが怖い。
こんなに怖くて苦しいのに、私の中の誰かが最後のスイッチを押そうとするとき、
「死ぬのは怖い」と強く感じる。
それがまた、たまらなく恐ろしかった。
そんななか、五木寛之著の『生きるヒント』に出会った。
「ネアカ」なんて今は死後になっているけれど、
まだまだバブル期の価値観を引きずっていた当時、「暗くてもよい」と説くその本は、とても新鮮だった。
たんたんと、やさしく書かれたさまざまな「ヒント」を読むときは、少しだけ救われた気持ちになるのだった。
この本が、私にとって忘れられないものになった理由は、もうひとつある。
たまたま、五木氏の講演を聞く機会に恵まれたのだ。
1時間余りの講演は、本よりもさらに、胸に迫るものだった。
あれほどむさぼるように聞いたのに、今はもう、内容をほとんど覚えていない。
ただ、ひとつだけ心に残っているのは、「死にたかったら、死にたいまま生きればいいんじゃないですか」と氏が語ったことだ。
そのフレーズは、『生きるヒント』の、「暗さは否定するものではない」よりもさらに強く、私の生を肯定してくれた。
そうか、死にたいなら、死にたいまま生きればよいのか。
目から鱗が落ちる思いだった。
とはいえ、私の状況は変わらなかった。
頭の中では暗い未来がえんえんと映写機で映し出され、「死にたい」という言葉ばかりがこだましていた。
夜になると、私の中の私でない誰かが、「生」のブレーカーを落とそうとした。
胸がつぶれそうになるので、布団にもぐりこんで悲鳴を上げた。
それでもやはり、死のにおいに満ち満ちたあの日々のなか、
「暗くてよい」という言葉は救いであったし、
「死にたいまま生きればよい」と思えた瞬間は、
まるで曇天に一瞬だけ日が差したかのように、貴重なものだった。
だから、どうにかこうにか暗い青春を生きのびて大人になった私は、
「青春の一冊」に『生きるヒント』を挙げたい。
あの頃かいだ死のにおいは、10年近く鼻について離れなかったが、
今はもう、ほとんど思い出すこともなくなった。
私の情緒は、かつてないほど安定している。
平凡な幸せを日々感じながら、生きてる。
こんな日がくるなんて、思いもしなかった。
死にたいまま生きて、よかった。
死ぬのが怖いと思えて、よかった。
そう思える今、もう一度、『生きるヒント』を紐解いてみたい。
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