平凡

平凡

いつの間にかその方言は、我が家で代替不可能な言葉になっていた

私は地方出身なので、「国の言葉」が出ることもある。

故郷を離れて長いが、方言には代替不可能な表現もあるため、

家の中ではつい、使ってしまう。

 

なかでも、「さらえる」という言葉はなかなか便利だと思っている。

「さらえる」とは、「お皿に残ったものを全部食べる」ことを指す。

清掃を例に出すのは気が引けるが、

「どぶをさらえる」の「さらえる」に近いと思う。

大皿料理が残り少なくなったとき、

「これ、さらえてもいい?」

と使う。

これを方言以外で言いかえると、

「これ、残り全部食べていい?」となる。

活字にすると文字数はそれほど変わらないが、

「皿に残ったものを、自分がぜんぶ平らげますよ~」

というニュアンスが薄れ、まだるっこしく感じてしまうのだった。

 

この言葉は、状況でなんとなく意味が通じるため、

他地方出身者に突っ込まれないことが多い。

出身地が近い友人は、

「えっ、『さらえる』って方言なの。会社の飲み会で普通に使っていたわ」

と驚いていた。

 

夫と私は出身地が違うが、

食事のたび、私が「さらえていい?」と言っているうち、

夫は、「さらえるって便利だよね。

『皿にあるもの』を『さらっちゃう』って感じがする」と

気に入り、使うようになった。

今では、「『さらえる』って、標準語でなんて言うんだろう」と言うまでに。

 

表現がもつ身体的感覚を実感しているうち、

言葉が代替不可能になっていく。

その過程が見られたようで、

「こうやって言葉は定着していくんだな」と興味深く感じた。

 

いつか、私たちが子どもを授かったとしたら、

この土地で育つことになる。

子どもにとって、「さらえる」は

「母の方言から来た、我が家の言い回し」として定着していくだろう。

 

方言から、我が家の便利な言葉へ。

「さらえる」という方言を使うとき、

そんな来し方行く末に想いを馳せるのであった。

 

今週のお題「方言」