平凡

平凡

世界がキラキラと輝いて見えた

嫌な出来事があった場所に行くと、苦い感情を思い出す。

悲しいときに聞いていた音楽がかかると、涙がこぼれる。

 

そんなことがある。

 

ところで、私たちが入籍したのは、

そろそろ冷え込みが厳しくなる、秋の終わりのことだった。

終電近くに待ち合わせ、

入籍日と決めた日付に変わったころ、役所に婚姻届を提出しに行った。

 

夜中のことで、窓口を探すのには苦労した。

他の庁舎にまで迷いこんだ私たちを、

なぜか夜間用出入り口の横でカップ焼きそばを食べていた初老の男性が、

「婚姻届ならこっちだよ」と案内してくれた。

 

夜間窓口で書類に不備がないかを確認したのち、

恥をしのんで係の方に、写真を撮ってもらった。

 

それは、世間で語られる❝いかにも❞な行為に背を向け続けた若いころなら、

照れが先行して、とうていできないことだった。

年を取るというのも、よいものだ。

 

紙きれ一枚を提出し終え、気分が高揚していた我々は、意味もなく笑いあった。

このまま帰宅するのも惜しい気がして、

たまたま目についたチェーンの寿司屋に入ったのだった。

 

それほど空腹ではなかったので、いくらやら玉子やら好きなネタを頼み、

ささやかな祝杯を上げた。

夜中にも関わらず、威勢のよい店員のサービスが心地よかった。

 

店を出たものの、帰りの足をまったく考えていなかった我々は、

贅沢しちゃおうか、と、タクシーを捕まえた。

 

テールランプも町の灯りも全てが現実以上の輝きを放ち、

夜の闇は、やさしくやわらかく、我々を包んでいるように感じられた。

 

「キラキラしてるね」

「なんでだろうね」

「紙きれ一枚なのにね」

 

それから1年が経った。

多忙な時期、

記念の食事はレストランか料亭かと言っているうちに

その日を迎えた我々は、

結局、あの寿司屋に向かったのだった。

 

通されたのは、偶然にも、以前と同じ席だった。

 

やっぱりいくらやら玉子やらを好きなようにオーダーし、

威勢よく対応する店員から、気持ちよいサービスを受けた。

 

支払いを済ませ、外へ出ると、世界がキラキラして見えた。

懐かしいわけではない。

輝きが変わることなく、そのまま蘇ってきた。

私たちは手を握り合いながら、

「やっぱりキラキラしてる」と、

しばし街に目を奪われていた。

 

嫌な出来事があった場所に行くと、苦い感情を思い出す。

悲しいときに聞いていた音楽がかかると、涙がこぼれる。

 

それだけではない。

人生には、幸せなことが、幸せなままで蘇ることもあるのだと、

結婚記念日に知った。

 

「来年は、『世界が輝いて見えてた、とか言ってたよね』って笑い話になるのかな」

「案外、ずーっと言ってるかもね」

 

未来はわからない。

けれど、世界が輝いて見えた日があった、

そのことこそが、宝物として、私の胸の内に、今もある。