平凡

平凡

むかしのこと

“家飲み”から“家お茶へ”

もうだいぶ前になるが、友人が結婚した。 挙式は、オーストラリアで。 当然、出席した。 中高生のころから彼女は、 「わたしは、結婚して、子どもを生んで、将来おかあさんになる」 と断言していた。 「まあ、いつかは子どももほしいし」 「やさしい旦那様と…

「いつかあなたにも、そんな相手が見つかるよ」とその人は言った

まず、「ツチノコ」の話をしよう。 もし、世界に「ツチノコ」という概念がなかったなら。 当然、「ツチノコ」を捕まえようとは思わないだろう。 そして、仮に「ツチノコ」を見ても、特異な存在とはわからないはずだ。 「ちょっと太った蛇がいるわ」などと思…

部活動、そのロールプレイと癒し

運動はとんとできない子どもであった。 暗い顔で、本ばかり読んでいた。 そんなわたしが大学に入ってすぐ、部活動に入った。 大学公認の、純然たる体育会系である。 比較的新しい競技なので、ややゆるい雰囲気ではあるものの、 それなりのしごきもある。 先…

フリーランス駆け出し時代を支えてくれたのは、ビビッドなピンクのケータイだった

特別お題「おもいでのケータイ」 フリーランスになって1年目のころ。 収入の不安定さ以上にこたえたのは、人とコンスタントに話すことのない生活だった。 会社に行って、好むと好まざるとにかかわらず、他人と話す。 そのことが、いかに貴重なことかを知った…

人生はティラミスのように苦くて甘く、記憶はホロホロと崩れてゆく

ティラミス、という食べ物がある。 生地は、エスプレッソが染みこませてあって、苦い。 その間に挟まれたカスタード状のクリームやマスカルポーネチーズは、甘い。 甘い、苦い、甘い、苦い。 ひとつのお菓子のなかに、その繰り返しがある。 生地はホロホロと…

子どもの足音

木造の、古い古いアパート。 間取りは、かろうじてテーブルを置ける広さのダイニング・キッチンに6畳2間がついた2DK。 当然、家族連れが多く住んでいた。 そんな物件に、まかり間違ってひとりで入居したのは、 2011年の2月のこと。 わたしは独身で、夫とは…

奥多摩から帰る

その電話を受けたとき、わたしは奥多摩にいた。 「おじちゃんが、倒れてしまって」 電話の向こうで、母が泣いていた。 おじちゃんとは、母の再婚相手のことだ。 奥多摩で何をしていたかというと、 レンタサイクルを借りて、デートをしていた。 相手はまだ、…

羽毛布団を捨てる

羽毛布団を、捨てようと思う。 この布団を使うようになったのは、はるか昔、もう30年も前のことだ。 そのころ、わたしの実家は新築フィーバーにわいていた。 憧れのフローリング、 小さな玄関の吹き抜け、 そして子どもたちにとっては、念願のひとり部屋。 …

永作博美主演のあのCMが、今も変わらず胸を打つのは

オンエア当時、狂ったように見まくっていたCMがある。 永作博美が出演していた「月桂冠 月」の一連のシリーズだ。 CMソングは、安藤裕子の「のうぜんかつら(リプライズ)」。 とくに、「ふたりの貝」編が好きだった。 CMは、永作博美*1演じる妻が、畳の上で…

死にたいなら死にたいまま生きればいいじゃないですか、とその人は言った

思春期のころは、ずっと死にたかった。 最初は、その年ごろにありがちな、厭世的な思考だった。 「町で一番高いマンションから、飛び降りちゃおうかな」。 あくまで自分の意思で。選ぶのは、私。 それが当初考えていた、「自殺」だった。 しかし、精神の調子…

世間知らずのころ

新卒で入った会社には、丸2年しか勤めなかった。 10人前後の小さな企業だったこともあり、後輩をもった機会はわずか1回きり。 その人は、40絡みの男性だった。 くたびれたスーツを着て、どこかだらしなく見えた。 「美味しんぼ」初期の山岡をリアルにしたら…

人生は、砂漠を歩くようなもの、と思っていた

幼いころから、眉間に皺ばかりよせている子どもだった。 そのころ考えていたことでよく覚えているのが、 「人生とは、砂漠をひとりで歩くようなもの。 どうやって歩いていけばよいか」。 結婚とは、年齢がきたら適当な相手と❝してしまうもの❞。 そして、どう…