平凡

平凡

夫の死角

トロピカル模様の、派手派手なスリッポン。

ラクだし、季節感もあるし。

昨年の夏は、そればかり履いていた。

今年もそろそろ暑くなり、スリッポンの出番となった。

 

ところで、平凡家での小さな出来事として、

「夫ルームパンツ看破事件」というものがある。

それは、わたし側の実家に帰省したときのこと。

わたしは母から借りたルームパンツを履き、居間でダラダラしていた。

そこにやってきた夫は、目ざとく言った。

「あれっ、平凡ちゃん、そのズボンどうしたの?」

わたしは驚いた。

ルームパンツは黒くて地味なデザイン。

しかも、わたしは床に座っていたので、全体が見えるわけでもない。

「よ、よく気がついたね」

これには、母も驚いていた。

「夫君、すごいわー。よう見てるね」

「えー、見たことないズボンだと思ったので……」

夫は照れていた。

 

夫は、人の顔を覚えるのが苦手なのだという。

「あんまり人のこと、見たりしないでしょ」

それが夫の言い分だ。

たしかに、人の服装などもよく覚えていないことが多い。

しかし、ことわたしのことになると、

美容院に行けば、「あれ、なんだかさっぱりしてる?」と言い、

新しい服を買えば、「あっ、見たことない服だ!」と気づいてニコニコしている。

じいっと見ているようすもないのだけど。

 

夫は、わたしをよく見てくれているなあ。

そんな風に感心していたある日。

冒頭であげたスリッポンを今年はじめて履いた。

すると、夫が言う。

「わあ、平凡ちゃん、新しい靴だね!」

いやいやいやいや、これ、昨年、めちゃくちゃ履いてた!

これしか履いていないと言っても過言ではない!

その旨を伝えると、「そんな浮かれた柄の靴、見たことないよ」と

心なしかしょんぼりしている。

 夫は、髪型にも洋服にも、あんなに地味なルームパンツにも気づいたじゃない!

「人の足元って、見るかなあ。俺、自分が履いている靴も覚えていないかも」

などと不安になることを言う。

確認していくと、わたしのことは、

髪型は見ている、

上半身も見ている、

下半身もだいたいのところはしっかり見ている。

が、くるぶしから下あたりは見ていないのではないかという結論に達した。

 

「俺、妻が靴をたくさん買っていても気づかないかもしれない。

ひょっとすると、イメルダ夫人みたいになっていてもわからないかもね」。

年代がバレそうなたとえで、この話は締めくくられた。

 

人には意外な”死角”があるものだ。

スリッポンがあぶりだした夫の死角。

いつか、もっと派手派手しい靴を買って、夫が気づくか試してみたい。

そんな誘惑に駆られている。

フリーランスはクレジットカードの審査に通るのか?

クレジットカード審査。

フリーランスにとっては、ちょっとした恐怖だ。

 

「平凡ちゃんはさー、いつまでそのクレジットカード使うわけー」

と、夫がじりじりと迫る。

わたしがうっかり「今使っているクレジットカード、年会費がかかるんだ」と口を滑らせて以来、定期的にこれである。

 

「だって、新しいクレジットカード、審査通んないかもしれないじゃん。

フリーランスだから……」

楽天カードとか、審査ゆるいらしいよ。

やってみなよ。

今どき、年間1500円も会費払ってクレカ持ってる人なんていないよ」

「あっ、年会費は、1250円プラス税金です」

「変わらないよ! 1250円なんて誰もくれないよ?

収入は変わらなくても、無駄な出費を減らすことはできるんだよ?

そのクレカ持っていて、何かいいことあるの?」

わたしが持っているのは、新社会人になりたてのころに作った、VISAアミティエカード。

エントリーモデルとでもいうべきカードで、ステータスもへったくれもあったもんじゃない。

「だって、審査通らなかったら嫌だもの」

「わかんないなあ。やってみたらいいじゃん」

「イヤなものはイヤなの!」

と、わたしがジタバタして、この話は終わる。

 

「やってみたらいい」。

たしかにその通りだ。

合理的である。

しかし、もし、審査に落ちたらどうするのだ。

 何か、自分が否定されたような気持ちになるじゃないか。

フリーランスが浮き草稼業なのはたしかなことで、

クレジットカードの審査に今さら落ちたところで、

それほど傷つくことはないのかもしれない。

クレジットカードの審査なんて、たかが世間から見た経済的信用度ではないか!

――いや、書いていて改めて思った。

「世間から見た経済的信用度」、とっても大事。 

それがないと外から言われたら、ちょっと立ち直れないかもしれない。

数日、納期に差し支えるレベルでウジウジする自分が目に浮かぶ。

 

この気持ちは、なかなか夫に理解してもらえなかった。

が、ある日、夫が「平凡ちゃんの気持ちがわかったよ」と真面目な顔で言った。

なんでも、漫画家の羽海野チカ先生が、「クレジットカードの審査に落ちるのが怖い」とつぶやいていたらしい*1

ハチミツとクローバー」「3月のライオン」と、大ヒット作を放っている作家が?

2作品ともアニメ化、実写化されているのに?

知名度だってかなり高い先生が?

「あんな売れっ子の先生でも怖いんだね……。

そりゃ、平凡ちゃんは怖いよね……」

ゴメンね、と夫は謝り、クレジットカードの件でじりじり迫ることはなくなった。

羽海野先生のつぶやきは、一介の零細フリーランスの家庭に平和をもたらしたのだった。

 

 

しかし、夫に繰り返し言われているうち、わたし自身、年会費を払っているのがバカらしいと感じるようになってしまった。

夫が手持ちのクレジットカードを上手く使って、ポイントを貯めているのもうらやましい。

いろいろなサイトで調べると、いまやクレジットカードは、種類を問わなければ誰でも作れるという。

しかも、この春、平凡家では、スマートフォンやインターネットをひとつの通信会社に一本化した。

クレジットカードも組み合わせて、ポイントを貯めたり、何か楽しく節約をしたい!

 

そのような機運が高まり、この前のエントリーで書いたように「ビックカメラSuicaカード」を作ったのであった。

ネットでの申し込みはとても簡単で、年収は自己申告。

確定申告の書類で収入証明することもなく、電話でのごく簡単な本人確認のみ。

審査に通過したらしく、申し込んで2週間もしないうちにカードが届いた。

あまりのあっさりぶりに、拍子抜けしたぐらいだ。

 

昔は、「フリーランスになるなら、会社員のうちにクレカを作っておけ」とよく聞いた

しかし、今どきは、カードのステータスを気にせず、

クレジットヒストリーに問題を抱えていなければ、審査に通るようだ。

今どきわたしのように臆病な人はいないかもしれないけれど、

フリーランスの皆さん頑張りましょうというわけで、このエントリーを書いたのだった。

 

この前書いた記事。
hei-bon.hatenablog.com

 

 

*1:当該ツイートは検索しても見つけられなかった。が、「皆さん、カードの件を聞いてくれてありがとう」というツイートはあるので、当時、そういった内容のつぶやきをしていらしたのはたしかだと思う。また、前後のツイートを見ると、マイルを貯めるためにJALカードを希望されていたもよう。JALカードは審査が厳しいのかもしれない

ゴースト・イン・ザ・スマートフォン。あるいはiPhoneとモバイルSuicaとビックカメラSuicaカードの話

春。

はじまりの季節。

新しいことをしようという気力がむくむくとわきあがり、

スマートフォンを変えた。

ついでに、ポイントを貯めやすいクレジットカードも作ってみた*1

 

スマートフォンは、androidからiPhoneに。

クレジットカードは、「ビックカメラSuicaカード(ビューカード)」を。

フリーランスでノー定期、交通費はすべて自腹の身としては、

電車に乗るだけでポイントが貯まっちゃうの、わお! というところに惹かれたのだった。

 

さっそくSuicaアプリを落として、

なんやかんやオートチャージまで可能な状態に設定した。

 

物理的なSuicaiPhoneに登録すると、元のSuicaは機能しなくなってしまう。

残額も、機能も、全部がスマートフォンに吸い取られてしまうのだ。

導入すぐから17年余り使い続けたSuicaは、抜け殻になってしまった。

 

改札にiPhoneをかざす。

ピッと反応して、改札が開く。

とっても便利、とっても未来と、ウキウキする。

 

そして、わたしの物理Suicaは、いまiPhoneの中にいるのだなと思う。

これってあれだ、機械のカラダに、人間の魂を移したような、

攻殻機動隊」でいうところの"ゴースト"みたいだなと思う。

物理Suicaのゴーストは、アプリを通してiPhoneに宿り、今日も元気に働いているというわけだ。

そんなところにも、未来を感じたりもする。

 

そうして、わたしのカバンから、パスケースが消えた。

思い返せば、スマートフォンの登場で、スケジュール帳もカバンから消えたんだった。

先の予定もアポイントメントも、

そのときどきに耳や目にしたナイスなことばも、

心に浮かんだよしなしごとも、

今はぜんぶスマートフォンに書きつけている。

かつて、なんでもメモするスケジュール帳は、わたしの心のよりどころだった。

それを想うと、魂の三分の一ぐらいを、スマートフォンに移したような気持ちになる。

 

ポイント狙いで決済をSuicaに集中させているので、

今、財布の使用頻度がじょじょに減っている。

そのうち、財布も必需品ではなくなっていくのかもしれない。

そういえば、テレフォンカードだって、とっくの昔にカバンの中身からはなくなっている。

わたしがこの世に在るうちに、カバンの中身はどれぐらい変わるんだろう。

カバンの中身は、世につれ、人につれ。

そして、スマートフォンの中には、

Suicaのゴーストと、わたしの三分の一ぐらいのゴーストが移されている。

そんなことを考えながら、今日もスマホ片手に電車に揺られている。

 

 

 

<本編終わり。追記>

わたしは「ビックカメラSuicaカード(ビューカード)」にVISAを付けたこともあり、

モバイルSuica利用開始にちょっとだけ戸惑ったことがあるので、それについて書いておく。

ビックカメラSuicaカード(ビューカード)」は、JCBかVISAか選べるのだが、

モバイルSuica利用予定で、とにかく簡単にしたい人はJCBがおすすめ。

わたしは海外で使える範囲が広いという理由でVISAを付けた。

 

戸惑い1:

ビックカメラSuicaカード(ビューカード)」は

Suicaとクレジットカード、ビックカメラのポイントカードが一体化したもの。

そして、このクレジットカードについているSuicaは、モバイルSuicaに登録できない。

このことにわたしはびっくりした。

モバイルSuicaに登録するためには、別途Suicaが必要。

今まで使っていた物理Suicaなどを用意する。

 

戸惑い2:

JCB付きビューカードの場合は、

ウォレットにSuicaとクレジットカードを登録すればOK。

 

VISAの場合は、まずは、Suicaアプリをダウンロード。

そこで物理Suicaの番号とクレジットカードを登録する。

このSuicaアプリ内でSuicaとクレジットカードがひもづくことで、

オートチャージも、手元でのチャージもできるようになる……はず。

とにかく、Suicaアプリをダウンロードすれば、難しいことを考えなくても

モバイルSuicaを使えるので、あわてる必要はなし。

わたしはウォレットにもクレジットカードを登録しているが、

たしか、これは必須ではなかったと思う。

 

 

今週のお題「カバンの中身」

*1:これはフリーランスあるあるだと思うが、クレジットカードの審査にはねられるのが恐ろしく、今まで学生時代に作った、年会費が必要なカードを使い続けていた

川上弘美と輝夜月

川上弘美の短編集「神様」。

そのなかに、「コスミスミコ」という登場人物が出てくる。

 

螺鈿の壺をこすると出てくる彼女は、

どうやら「チジョウノモツレ」から人から刺され、幽霊になったらしい。

しかしながら、彼女は愛らしい容姿をもち、

まったくもって怨念とはほど遠く、

甘ったれた声でしゃべり、

主人公のことを「ご主人さまあ」と慕う。

男女問わず相手を魅了するかわいらしさがあり、

「それがチジョウノモツレを招いたんじゃないの」と主人公は考えたりする。

主人公とコスミスミコの間には、女同士の奇妙な友情が築かれていく。

 

「コスミスミコと過ごす夜は平穏で、

小鳥がちいちい鳴くようなコスミスミコのお喋りは耳に心地よかった」

川上弘美「神様」収録の「クリスマス」より)

 

自分とはかけ離れた人格をもち、

自分とはまったく異なる人生を送った存在が、

他愛ない話をしている居心地のよさ、安らぎ。

そんなものがよく表れた文章だと思う。

 

最近、あっ、これってコスミスミコ、そう感じたことがある。

バーチャルYouTuber、いわゆるVtuberの存在である。

 

わたしたち夫婦はいい年なので、

ぼんやりしているとまったく流行にうとくなってしまう。

話題のものは見ておきたいというわけで、

遅まきながら「バーチャルYouTuber」なるものをチェックしたのであった。

 

キズナアイ輝夜月、ミライアカリ、電脳少女シロ、ねこます(バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん)を一通りチェック。

 

我々が気になったのは、断然、輝夜月であった。

 

初投稿の動画では、「人を笑顔にしたい」と自己紹介しつつ、

「血液型占い」が特技であることを証明すべく、

「斉藤さん」という、見ず知らずの人と通話できるアプリを使う。

 

www.youtube.com

ちょっとハスキーな声、

ややろれつが回らないしゃべり方、

テンションの高さ。

そして、我々が知らない新しいアプリを知っていること。*1

 

この罪のなさは、楽しさはなんだろう……。

ああ、あれだ、「職場にいるうんと若い女の子が酔っぱらって、

楽しくはしゃいでいるのを見ている感じ」ではないのか。

そして、彼女の話にはわれわれの知らない新しいものごとが当たり前のように出てきて、

「若いモンはすごいなあ~」と無邪気に思ってしまうのだ。

ど真ん中のファンにとってはどうなのかは別にして、

中年過ぎたわれわれにとっては、輝夜月のおしゃべりは、そういう喜びがある。

 

これはまさに、「自分とはかけ離れた人格をもち、

自分とはまったく異なる人生を送った存在が、

他愛ない話をしている居心地のよさ、安らぎ」ではないか。

なんたるコスミスミコ体験!

 

手持無沙汰な夜、3分ばかりのコスミスミコ体験がしたくて、

ついつい輝夜月チャンネルを開く。

「首絞めハム太郎」などという物騒なあだ名で呼ばれる彼女の声だが、

やっぱり本質的に「小鳥がちいちい鳴くような」心地よさがある。

 

輝夜月のおしゃべりが、心の何かを埋めていく。

極めて2018年的な無聊の慰めに、

憧れの小説の世界を垣間見る今日この頃である*2

*1:動画は必ずしも最新のアプリやガジェット絡みで展開するわけではない

*2:「神様」は1998年刊行なので、発表から20年を経て憧れの世界が実現したといえる

猫好きの星、保護猫カフェに現れる「猫貴族」

夫婦揃って、猫狂いだ。

最近では、お気に入りの猫カフェを見つけ、

休日はいそいそと出かけている。

 

わたしたちが通っているのは、譲渡型保護猫カフェ

保護猫、というのは、捨てられたり、野外で生まれたり、

そんなところを人間に保護された猫のこと。

譲渡型とは、店にいる猫たちは、新たな飼い主を募集していることを意味する。

希望し、一定の基準を満たせば、

カフェに在籍する猫を家庭に迎えることができる。

 

保護猫というと、人間不信で飛びかかってくるなどのイメージを持っている人も多いようだが、

カフェにいる子たちは、人懐っこい、もしくは人馴れした猫が選ばれていることが多い*1

膝に乗ってくる猫もけっこういる*2

 

ともあれ、そんな「保護猫」のイメージがあるせいか、

客は「猫であればなんでもかわいい」と思っているような人たちだ。

寝ている猫を起こしたり、抱っこしたり、追いかけたりする客は皆無。

スタッフも猫に無理をさせたりはしない*3

 

そんな客の中に、われわれが「猫貴族」と呼んでいる男性がいる。

 

その人は、いつもひとりで来店する。

落ち着いて見えるが、まだ年若いと思われる。

来店すると、猫全員を軽くなでるなどし、挨拶をする。

そのあとは椅子やソファに座り、

ひたすら穏やかなまなざしで猫を眺めている。

ときには腕を組み、眠っていることさえある。

 

猫カフェのシステムは、たいてい1時間いくら、延長いくらである。

限られた時間の中で、かわいいナントカちゃんを写真に収めたい、

できればお膝に乗ってほしい、おもちゃで遊ぶなどして交流を深めたい。

そのように欲をかき、かえって猫に逃げられてしまう我々とは、器が違う。

それに、床に座った方が、猫は膝に乗ってくるものだ。

彼は、そんなことは百も承知だろう。

あえての椅子やソファなのだ。

 

しかし、彼が猫貴族と呼ばれるのは、

時間と金にあくせくしないから、などという理由からだけではない。

 

まず、彼は、非常に猫、とくにnオス猫に好かれている。

普段は鳴くことのない、いかついオス猫たちが、

彼にはスリゴロスリゴロし、にゃーんと甘えた声を出す。

彼が退店するときは、名残惜しそうに足にまとわりつき、必ずお見送りがある。

寄ってきた猫に対し、彼はどうするか。

微笑み、ゴシゴシとやや強めになでる。

それだけである。

決してベタベタし続けたりしない。

 

何より、彼はその保護猫カフェから、既に猫を迎えている。

それも、とびきりやんちゃなオスの兄弟を2匹。

SNSの投稿には、

ダンボールをかじられ、

家中のケーブルをかじられ、

高価そうなスーツケースの留め金を破壊され、

床には傷というより穴をあけられ、

兄弟のじゃれあいの果て、

キャットタワーが消耗品と成り果てる様子が記録されている。

 

彼は何を壊されようと、

ただただ誤飲を案じ、

感電を案じて頑強なケーブルを買い求め、

夜中の大運動会でたたき起こされ、

猫たちにくっつかれて幸せそうである。

 

兄弟猫は、何も彼の家に行って破壊活動に目覚めたわけではない。

猫カフェでもありとあらゆるものの破壊にいそしんでいたというから、納得ずくである*4

今、猫カフェで彼にまとわりついているオス猫たちは、

「この人こそ、われわれの理解者である」と感じているのかもしれない。

 

猫カフェから猫を迎え、その後も店に通う彼。

常連中の常連といえようが、

スタッフに必要以上に馴れ馴れしく話しかけることはない。

しかし、卒業(里親さんが決まること)が決まった猫がいると、

帰りぎわ、「何々ちゃん、おめでとうございます」とスッと伝えている。

ふるまいが、つねにスマートなのだ。

 

スマートといえば、こんなこともあった。

ある日、ぴょんぴょんと元気な子猫(オス)が、彼の膝に乗った。

子猫はまだまだ、遊びたそうである。

すると、彼は近くに座っていた夫のほうへ、さりげなく膝を向けた。

当然、子猫は夫の膝に飛び乗る。

われわれはそれを見て、いたく感動した。

なんたる余裕。

猫に愛し愛され、常に余裕をもち、

"持てる者"にふさわしい行動を忘れない。

これぞノブレスオブリージュ、

まさに貴族のふるまいではないのか?

ビバ・猫貴族!

 

そんなわけで、わたしたちは敬意を込めて、

彼を猫貴族と呼ぶようになった。

彼が店にいると、なんとなくうれしい。

 

猫貴族は、猫好きとして、また、個人店の常連客として、われわれの憧れだ。

ああなれるとは思わないが、少しは見習いたい。

見習って、猫ちゃんたちと、もうちょっと仲良くなりたい……。

まだまだ、猫貴族の境地からはほど遠そうである。 

 

 

過去に書いた保護猫関係の記事はこちら。

大人の猫についてです。

hei-bon.hatenablog.com

 

保護された猫が看板猫になっているお店に行ったときの話。

店主と猫の関係が、とてもよかったのです。

hei-bon.hatenablog.com

 

 

 

*1:どんな性格の子が在籍しているかは、保護猫カフェにもよる。が、人がいる場所がストレスになる子を選んでいる保護猫カフェは少ないはずだ。また、保護猫イコール短毛の雑種というイメージもあると思う。が、なんらかの形で保護されれば、それすなわち保護猫なので、ブリーダーや飼い主に遺棄された純血種の保護猫も、世の中にはけっこういる

*2:私も夫も、実家で飼っていた猫はそういう性格ではなかったので、猫ちゃんに膝に乗られると、うれしい一方、「こんなに人懐っこいの?」とおののく

*3:信じられないことだが、スタッフが寝ている猫を起こすなど、人間の都合に合わせる猫カフェは存在する

*4:我々が通い始めてすぐ、その兄弟は猫貴族の家にいったため、伝聞である

あのころ、カヒミ・カリィがわたしのアイドルだった

驚いた。

こんな世界があるのかと思った。

 

20年近く前、春休み直前のころだったと思う。

東京からの転校生が、こう言った。

カヒミ・カリィって知ってる?」

「えっ、カヒミ……何……?」

耳慣れない名前を、何度か聞き返したことを覚えている。

なんでもそのカヒミ某が、ローカルラジオでMCをするのだという。

「聞きたいけど、その日、家族で出かけるから」

彼女は残念そうに言った。

 

ちょっとした親切心と好奇心で、

わたしはそのラジオを録音することにした。

きっと理解はできないだろうけど、

その変わった名前のミュージシャンの番組を、聞いてみようと思ったのだ。

 

当日、ラジカセの前で待機して、赤い録音ボタンを押し込む。

流れ出したのは、少しかすれた、囁くような声、

わたしの知らない新旧の洋楽、彼女自身の曲。

たしか、「Candyman」をかけたのだと思う。

なんておしゃれな音楽なんだろう。

あっという間に夢中になってしまった。

 

それまで聞くものといえば、

母の影響で聞いていた松任谷由実か、

トップ10に入るような邦楽か、

ゲームの音楽ぐらいだった。

カヒミ・カリィ自身の音楽も、彼女が紹介する曲も、

何もかもが新しい世界に感じられた。

 

この世界って、なんなんだろう。

この人の話に、どうしてこんなに惹きつけられるんだろう。

なんて愛らしい話し方なんだろう。

転校生から返ってきたカセットテープを、わたしは何度も何度も聞いた。

 

それからほどなく、NHK‐FMで、

カヒミ・カリィのミュージックパイロット」がはじまる。

毎週金曜日の夜は、ラジオの前で待機。

もちろんカセットテープに録音して、

1週間はしがむように繰り返し聞いた。

 

フリッパーズギター

彼らが監修したオムニバスアルバム「FABGEAR」、

嶺川貴子とのユニット「Fancy Face Groovy Name」の「恋はイエイエ」、

セルジュ・ゲンズブールの音楽や映画、

ブルック・シールズのプリティ・ギャンブラー」

テイタム・オニールの「がんばれ!ベアーズ

「渋谷の大きなレコード店」という呼び方、*1

プチ・バトーのTシャツ、

ハーシーズのチョコレート。

ラジオで流れた早瀬優香子の曲「去年マリエンバード」が気になって、

アラン・レネの映画をレンタルして見た。

大流行する直前のカーディガンズも、カヒミ・カリィのラジオで知った。

スウェーデンに、こんなポップスがあるんだ、

どんなアンテナを張っていれば、こういう情報が入るんだろう。

彼女が紹介するポップ・カルチャー全般に熱中した。

渋谷系”なることばは、ずっと後で知った。

 

アルバムは購入して聞き込み、

インタビューが掲載される雑誌は必ず買って読んだ。

ハイチュウのCMに出たり、「ちびまる子ちゃん」の主題歌を歌ったり、

“みんなの知っている場”に出るのを見て、言いようのない興奮を覚えた。

 

広い意味での“偶像”として、カルチャーの伝道師として夢中になったのは、

カヒミ・カリィがはじめてだった。*2

「ミュージックパイロット」の最終回は、本当にさみしかった。

 

地方都市の狭い狭い世界に暮らす高校生にとって、

カヒミ・カリィは、遠い海外や、都会的なものを教えてくれる「窓」のようなものだった。

 

大学生になって、上京時にもってきた数少ない荷物の中に、

CDラジカセと、カヒミ・カリィのCDがあった。

はじめて暮らした、家具付きの極めて狭小な部屋のことを、

なんとなく、パリの屋根裏部屋みたいだと思いながら、

ぼんやりと「クロコダイルの涙」を聞いていた。

 

念願の「渋谷の大きなレコード店」に

簡単に行ける環境になったけれど、

カヒミ・カリィの手引きがなければ、

あまりにも大きな音楽の殿堂から、

好みの音楽を見つけ出すことはできなかった。

ただ、映画、絵画、いろいろなものを見てみようと思い、

「ぴあ」を片手に興味があるものには足を運んだ。

カヒミ・カリィが独自の世界をもっていたように、

わたしも何かを見つけようとしたのだと思う。

 

ペースは落ちたものの、その後も、カヒミ・カリィは楽曲を発表している。

 しかし、東京に出たわたしは、大学に部活にと何かと忙しくなり、

熱心に彼女の情報を追いかけなくなってしまった。

 

先日、山内マリコ「パリ行ったことないの」の文庫版に、

カヒミ・カリィが解説を寄せていて驚いた。

作品は、パリにさまざまな思いをもつ日本人女性を描いた短編作品集だ。

テーマとなる「パリ」について、かつてパリに住み、

今はニューヨークに住むカヒミ・カリィが語っていておもしろかった。

と同時に、カヒミ・カリィの生活者としての、この20年に思いを馳せた。

わたしの上を20年が過ぎ去ったように、憧れの人には、憧れの人なりの20年があったのだ。

昔は、別次元で生きている人だと思い込んでいた。

「パリ行ったことないの」で、「パリ」は「どこか架空の都市なのだ」といわれる。

わたしにとって、カヒミ・カリィは、まさに「パリ」そのもののような存在だったのだと思う。

だから、彼女の上に時間なんて流れないような、そんな気がしていたのだった。

わたしが追いかけるのをやめてしまった20年を、彼女の作品を手に取り、知りたい。

そう思った。

 

カヒミ・カリィの「Candyman」を聞くと、

春休み近く「カヒミ・カリィって知ってる?」と聞かれたのんびりとした教室の空気、

オオイヌノフグリの空色、小さな川辺に咲く桜、

それを見に行くために乗った親の車のにおい、

アパートの暗い部屋とラジカセ、

グランドでサッカーをする少年たちの間の抜けた声、

お洒落だと思って着ていた古着のシャツなど、

ありとあらゆる「故郷の春」の風景がフラッシュバックする。

それと同時に、まばゆい、あふれんばかりの憧れがよみがえる。

 

春に聞きたい、というのとは少し違うけれど、

これも“わたしの春うた”なのかなと思う。

 

 

 

 

今週のお題「わたしの春うた」

*1:タワー・レコードのこと。NHKでは直接、店名を呼ぶことができないため、この呼び方をしていた

*2:ただし、作家は除く

止まったときを、宝箱に閉じ込めるように

お気に入りの中華料理店が閉まるのだという。

噂は本当なのか?

半信半疑で平日の昼、足を運ぶ。

 

冬のこととはいえ、磨りガラスごしに日光がたっぷりと入り、店内は暖かい。

長テーブルの一角に座り、ラーメンを注文する。

 

わたしのほかには、ビールを手にザーサイをつまんでいる老女、

ダウンを着こんだまま定食を食べている職人風の男、

スーツの若いサラリーマン二人。

 

古びた店内は掃除が行き届いている。

店主は忙しそうに調理しながら、「いらっしゃい」と言う。

いつも通りの風景。

本当に、閉店してしまうのだろうか。

 

「本当に細いわね〜。同じ人間じゃないみたい」

老女がしきりに、ホールバイトの女の子に話しかけている。

そうか、と思って、店の片隅、天井近くに置かれているテレビを見る。

平昌五輪、男子フィギュアスケートショートプログラム

羽生結弦選手の演技が始まろうとしていた。

 

羽生選手が、リンクに滑り出る。

空気抵抗をまったく感じさせない動きだ。

衣装は、白にブルーのグラデーション。

清冽な印象がよく似合う。

スポーツに疎いわたしでも、彼が大きなケガをしていたこと、

公式戦に、久しぶりに挑むことを知っている。

 

テレビから、ピアノの音色が流れ始める。

ショパンの「バラード第1番」であると、実況が告げる。

客席に音をたてる者はなく、

厨房から、店主が中華鍋で何かを炒める気配だけが伝わってくる。

ダウンの男は定食に箸を伸ばしたまま、

老女はビールが入ったグラスに手を添えたまま、

わたしは麺をすくっていた箸を、気づかぬうちに、いつの間にか下ろしたまま。

皆、時が止まったかのように、テレビに釘付けになっている。

 

優雅で力強い動き、そして、トリプルアクセル

4回転、3回転の連続トーループ

ラストの情熱的なシークエンスまで、

まったく不安を感じさせない滑り。

 

羽生選手がジャンプを成功させるたび、

赤ら顔のコーチがぴょんぴょん跳び跳ねて喜ぶ。

そのときだけ、 サラリーマンが小さな笑い声をたてる。

 

ノーミス、圧巻の2分50秒の演技。

羽生選手が両手を広げたポーズでフィニッシュを決めると、

ダウンの男性は箸を下ろし、お冷やを口に運んだ。

それを合図に、店内の時間が動き出す。

老女は「すごかったわねえ」と繰り返し、わたしはラーメンを食べる。

スープを飲み干すころには点数が出て、

羽生選手は111.68点を叩き出した。

 

結果を見て満足したのか、

ダウンの男性もサラリーマンも、次々と会計に立つ。

性別、年齢、職業もバラバラの一同が一体感に包まれた、

白昼夢のような時間が終わりを告げた。


次の選手の演技が始まる。

わたしも席を立つ。

店のおじさんが、調理場から顔を出して、

「ありがとうございました」とわざわざ言ってくれる。

ふと目を上げると、レジの横に、「閉店のお知らせ」が貼ってある。

 

本当に、この店はなくなってしまうのだ。

わたしたちがこの町に越してくるずっと前からあって、

この先も、きっと何度も通うのだろうと思っていた場所が。

演技にすっかり心を奪われたあとの、フワフワした気持ちに、

にわかには信じられない衝撃があわさって、

何がなんだかわからなくなってしまう。

 

羽生選手を見るたびに、冬季五輪が来るたびに、

魔法にかけられたような、この不思議な時間を思い出すだろう。

すすけた、しかし、清潔に整えられた店内、

淡いブルーの衣装、

指先まで神経の通ったうつくしい動き、

ピアノの音色、

静まりかえった客席。

 

2018年の2月、平昌五輪で、羽生結弦選手がショートプログラムを滑ったとき。

その瞬間、わたしは、わたしたちは、この中華料理店にいた。

冬の午後の、弱々しい陽光の下、わたしはそう心の中で繰り返しながら歩いて帰った。

形のない時間を、空気を、宝箱にしまいこむように。

いつでも思い出せるように。