わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。
そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。
そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。
未知の領域での挑戦は、発見が多い。
また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネット上で見たことがない。
そこで、感じたことを書き出してみようと思う。
- まずは、「下手さ」を見てくれよ!
- 線が引けない!
- 見えていない!
- 再現できない!
- 立体感がない!
- ざっくり描けない!
- 「見る自分」と「描く自分」では、見ているものが違う!
- ソフトの使い方がわからない!
- 情報収集ができない!
- お絵描きは運動だァ!
- お絵描きはフィジカル! だから、故障の危険もある!
- お絵描きは、楽しい!
まずは、「下手さ」を見てくれよ!
まず、わたしが「どれぐらい絵を描けないか」をご覧いただこう。
これが絵を描き始めた3月7日に、クリップスタジオ、通称クリスタで描いた絵だ。
「ビントロング」という動物の写真を見ながら描いた、いわゆる模写だ。
しかし、まるで落ち武者。この絵を見て元画像がわかる人はいないと思う。
ちなみにビントロングとはこのような動物だ。
この、あまりの「描けなさ」がおもしろくなったこと。
また、愛らしいビントロングという動物をすこしでもかわいく描けるようになりたかったこと。
絵を描いているのはそういった動機なので、描くのは主にビントロングだ。
主にデジタルで描き、使用ソフトはクリップスタジオ(iPhone版)、指描きだ。
線が引けない!
描き始めて最初に気がついたことが、「線が引けない!」。
もちろん、お絵描きソフト上で指を横に引けば線は描ける。ただ、それを細かくコントロールすることができない。
1日目の落ち武者のようなビントロングをあらためて見ると、単調な線をにゅーっと続けて描いているのがわかる。
3月7日は新しいオモチャを手に入れた子どものようにお絵描きソフトにさわるのが楽しく、4回もビントロングを描いている。
ネットで見つけた写真の模写なので全体のアップロードは避けるが、下は4回目に描いたビントロングだ。
まだまだあらっぽいが、「落ち武者」よりは線を小分けにしている。
見えていない!
描くことで痛感したのは、「描けない」よりも「いかに見えてないか」だった。
もちろん、わたしには視力があり、ビントロングは見えている。ただ、細部がどうなっているか、まったく注意を払っていない。
それは初回に描いた「落ち武者」を見ればわかると思う。
ビントロングの顔の形は実のところどうなのか?
脚はどのへんに見えている?
「絵がうまい」というと、漠然と「絵を描画する技術が高い」を思い浮かべがちだ。
だが、絵を描けない人間は、そもそもが「見えてない」のだ。描画技術の巧拙の前に、圧倒的に細部を見ていない。
見えていないから、そもそも再現ができない。何を描いていいかわからない。
逆に、絵が上手い人は驚くほど細部まで把握しているのだと思う。
このへんから、わたしは恐ろしい事実に気がつく。
写真を見ながらのビントロング模写ひとつとっても、初心者にはこんなに難しい。
なのに、ネットなどを見ると、多くの人が架空のキャラクターを描いている。
それには、まず「架空の人物イメージを脳内に描く」ことが必要で、それを「実在の人間から抽出した『人間一般の特徴』を応用して」「描画」しているのだ。
ワオ!
人間ってすごいなあ、想像力すごいなあ、恐ろしいなあ……。
再現できない!
「よく観察して描く」を繰り返すと、多少、観察眼が養われてくる。
そこで、「ビントロングの背中の毛はゴワゴワだけど、脚のこのへんの毛はふわふわしているな~」などと気がつくのだが、それを再現できない。
クリスタのペンをああでもない、こうでもないと試してみるのだが、思うようにはならない。
「他人がどう描いているか」は参考にはなる……。
が、「線をちょんちょんと適度に間引きながら描いて、適切な陰影をつける」など、かなり高いレベルで抽象化して表現していることが多く、やはり技術が低すぎると真似することすら難しい。
立体感がない!
絵を描き始めて1週間が経ったころ、他の方が描いたビントロングを見る機会があった。そこで自他の絵を比べ、「わたしの絵には立体感がまったくない」と気がついた。
一見、ラフな線で描かれたその方の絵は、見事に陰影をとらえて、毛並みの立体感や「ビントロングのもっこりした口もと」を表現していた。
が、わたしの絵にはそれらがない。全体的にのっぺりしている。
そこで、「立体感を身につけるには、デッサンってやつをやるといいのでは」と、りんごを模写してみた。
これがもう衝撃だった。
描こうと思わないときは、「りんごは、りんごでしょ」と、抽象化した「りんご」の像を見ている。それこそ、絵文字のようなりんご。
しかし、実際に描いてみると、ひとつのりんごには滑らかな曲線や不思議に平らなところがある。
その形を目でとらえるのが難しく、どう光が当たっているかをとらえるのも難しく、それらをとらえたとしても、陰影をつけて表現するすべがわからない。
観察の難しさ、再現の難しさ。
リアルな物体のデッサンは、二次元の写真を模写するよりも、それをずっとシンプルにつきつけてくる。
ざっくり描けない!
絵を描く方々から、「まず円や四角など、ざっくりしたフォルムでとらえてみたら」とすすめられ、タイムラプスを見せてもらったり、技法の解説ページを紹介してもらったりした。
「みんな円とかをざっくり描いてから、だんだん細かいところを描いているもんね」とお気楽にやっていようとするのだが、これができない。
まず、最初の図形をどこに置いていいかわからない。わからないから、脚部分をざっくり四角で描く予定だったのに、なぜか細かいペンで爪を描き始めてしまう、なんてことが起こる。あるいは毛並みを描き始めてしまう……。
これが解決したのは、実に絵を描き始めて17日目、最近だ。
枝からぶら下がっているビントロングを描くとき、まず画面に線を引いてみたのだ。
「ここまではビントロングを描くエリア」「ここからは余白にして、ビントロングが伸びている感じを出そう」と、エリア分けをした。
そうしたら、すんなりと円、四角……とざっくりとした輪郭が描けた。
さらにそこからざっくりとした線で輪郭を描き、その上から毛を太い筆で表現し……と、自然とステップがわけられた。
できてはじめて気がついた。
わたしは、まず、円を置く位置決めができなかったのだ。それがサッとできるほど、自分は空間の配置能力が高くなかった。なので、まずはガイドラインを引くことが必要だった。
経験者にとっての「スモールステップ」は、超初心者には「ちょっとだけビッグステップ」なのかも、と感じたできごとだった。
「見る自分」と「描く自分」では、見ているものが違う!
ある程度描き慣れてきたものの、どうしてもビントロングの目がかわいく描けない。
ビントロングの目は、なんとなくまぁるい。それがつぶらで愛らしい。
しかし、わたしが描くとちっともかわいくない。
ビントロングの目の輪郭は、意外と鋭い。それは観察できているし、だいぶ再現できるようになってきた。
だからそのまま描いている。そうすると、かわいくない。なぜ?
考えて、気がついた。
ビントロングの「目」を観察すると、ちいさくてすこしつり上がった目の輪郭に、ビー玉のような球体の瞳が入っている。
このふたつを合わせて、「見る」わたしは「かわいい~」と感じている。
しかし、「描く」わたしは二次元で再現しようとするあまり、目の輪郭ばかりを注視してしまう。
そのうえ、光沢のあるビー玉のような瞳を再現する技術をもたない。
「見る」わたしは輪郭と瞳を見ているのに、「描く」わたしは輪郭だけを見て、それだけを再現している。だからかわいくならないのだ。
「見る」わたしと「描く」わたしでは、見ているものが違うのだ。
これも衝撃だった。
ソフトの使い方がわからない!
使ってみてあらためて、お絵描きソフトの多機能ぶりに驚いた。また、使用するブラシ(ペン)によって、描きやすさがまったく異なる。
描いているとだんだん、「ビントロングのガサッとした毛並をもっともっと再現したい」など欲求が出てくる。
ただ、その実現方法がわからない。そして、その実現方法はひとつではない。だから、簡単に答えが見つからない。
たとえば「ふわふわの毛」を表現するにあたり、省略した線と陰影で表現する人もいれば、塗りで表現する人もいる。
わたしは、絵というものは「線画を描き」「塗る」といったワンウェイで描かれているのだと思っていた。
しかし、SNSに流れてくるすてきなイラストは、その限りではないし、その「すてき」を実現するため、さまざまな機能やブラシを使っている。しかも、その実現方法は人の数だけあるっぽい。
そういえば絵を描いている人の間では、「この絵はブラシは何を?」「こんな機能で描いているんですか!」などの情報交換が行われている……ような気がする。
まだまだわたしは、お絵描きソフトの機能がわからない、使い方がわからない。
すこしずつ学ぶしかない……!
情報収集ができない!
ネットには、たくさんの「絵の描き方」の情報が溢れている。
しかし、それらは玉石混淆であり、また、描きたいものが違うとあまり参考にならない。
この情報の選別が難しい。
そのとき気がついたのは、「文の人」であるところのわたしは、文章の書き方系の情報にふれるさい、ずいぶんとふるいにかけていることだ。
「これは『いかがでしたか』系のブログを書きたい人向け」「この書き手はインタビュー原稿を多く手掛けている人だから、それ前提で読もう」などなど。
それらは無意識下に行われ、ほとんど意識することはない。
しかし、イラストはそうはいかない。なんの知識もないからだ。
たとえば、「とにかく絵の基本を身につけたい」「動物を描きたい」と思っているわたしにとって、「まずは顔を卵形に描いて、真ん中に十字を……」といった情報は参考にならない。それらは、人間のキャラを描くときに役立つ知識だからだ。
また、いま、キャラクター系のイラストは、「SNSで見てもらうためにどうすればいいか」「バズるためには」といった情報が多い。なかには、知識がないわたしなりに「強調のしかたが極端なのでは?」と感じるものもあった。
絵を得意とする方々に相談し、結局は、図書館で基本的な絵の描き方本を複数借り、そこから「比較的スタンダードな習得法」を知るしかないのでは、となった。
わたしはデッサンのやり方も知りたいので、初心者向けの絵画教室があれば通うのも手かもしれない。
お絵描きは運動だァ!
思ったような線を引き、円を描く。
絵を描くなかでそれができないことに気がついたわたしは、毎日のお絵描き前に、円や線を描く練習をするようになった。
それはすなわち、「思ったようにからだを動かす」練習にほかならない。
素振りをするように、何回もキャッチボールをするように、線を引く、円を描く。
そうしてからだに正しい何かを発見させる。それを身につける。
椅子に座ってやっていても、お絵描きってとっても体育会系!
そして、円や線を描くことで得られるのは、いまのところ上達ではない。
その正反対の、「思ったよりぜんっぜんうまく描けないじゃん」という実感だ。
これはストイックだからそう思うのではない。「絵を描いて一日経つと、『これぐらい上手くできるはず』というイメージが醸成される」といったほうが正しい。
毎日、それを正して「自分ができる指の可動イメージ」を「現実」に寄せてやる。そうしてから絵を描くと、「現実」を起点にプランニングができるので、結果的にスムーズに感じる。
お絵描きはフィジカル! だから、故障の危険もある!
スマホに指描きで絵を描き始めて17、18日目……。わたしの首と肩は限界を迎えた。
毎日一定時間、テーブルに置いたスマホを夢中になって見つめ、レイヤーを分けながら、ざっくり空間を分ける線を引き、ざっくり円や四角で形を取り、ざっくり線画を描き、最後はまだまだうまくできないけれど、ビントロングの毛の再現方法を試す。
できることが多くなると集中する時間も長くなり、首も肩もバッキバキ。これ以上続けると確実に四十肩か何か、故障が出る。
たとえば文章を1日30分、3週間描きつづけてもこうはならない。やっぱりお絵描きはずいぶんフィジカルなものだ。
バッキバキの首と肩を抱えたわたしは、限界を感じ、家電量販店で液タブ、板タブ、iPhoneを試してみた。
意外にもわたしには板タブが一番描きやすく感じた。というか、首を立てた状態で描けるならもうなんでもいい!
現在は、とりあえずのつなぎとして、紙に鉛筆でビントロングを描きつづけている。
スマホ指描きよりずいぶん楽だ。
レイヤー分けもない、アンドゥもないアナログお絵描きは難しいけれど、見て、それを線で表現することはデジタルと変わらない。
お絵描きは、楽しい!
小学生時代の体育の授業で、何回も何回も練習して、二重飛びができるようになった。
大人になって着付けを習っていたとき、何回も何回も練習して、ついに帯を「お太鼓」を結べるようなった。
絵の楽しさは、それに近い。非常にフィジカルなものだと思う。
スポーツや着付けと違うのは、絵は本来は人に何かを伝達する手段であり、イメージを具現化する表現である、というところだ。
ダンスに近いものかもしれない。
そして、いつか「東南アジアの森の中にいるビントロング」を想像だけで描けるようになったら――。
それはわたしにとって、文章に近いものになるだろう。文章は、わたしにとって内的なイメージを表現し、人に伝える手段だからだ。
練習して、何かができるようになる、楽しい!
できることが増えると、表現できるものも増える、楽しい!
しかも、超初心者の今は、のびしろしかない!
この年齢になって、こんなことに出会えるとは思わなかった。
これからもマイペースに楽しみ、続けていきたいと思っている。
今週のお題「練習していること」
※記事中、最初に紹介した3月7日描いた落ち武者のようなビントロング以外、全身を載せているビントロングの絵は、写真家・かさこさんの写真を模写したものです。
トレースOKとのことで、ありがたい限り……。